島崎藤村にちなんだ 名掛丁(なかけちょう)藤村広場(とうそんひろば) このページを閉じる  

島崎藤村が仙台にて英語教師をしていた時に下宿した三浦屋旅館の跡地(一部)が
藤村広場(とうそんひろば)と名付けられ親しまれております。
蝶の絵柄は「若菜集」の表紙を題材にしています。
MAP
名掛丁 藤村(とうそん)広場
名掛丁 藤村広場(とうそんひろば) 島崎藤村が下宿した三浦屋旅館の跡地(一部)です
蝶の絵柄は「若菜集」の表紙を題材にしています

名掛丁(なかけちょう) 藤村広場(とうそんひろば)

『日本近代詩発祥の地』石碑

平成19年9月2日に青葉山城址より移設した島崎藤村の直筆による若菜集『草枕』詩碑
 藤村広場は島崎藤村にちなんで三浦屋旅館の跡地(一部)に作られた広場に名付けられました。
若き日の島崎藤村は英語教師として明治29年、仙台に暮らしていたときに仙台駅東口界隈、名掛丁の
三浦屋旅館に下宿をしておりました。その三浦屋旅館の裏二階の遠く荒浜の海の音さえ聞こえてくる
静かな部屋で、
「まだあげ初めし前髪の林檎のもとに見えしとき前にさしたる花櫛の花ある君と思ひけり・・・・」
で始まる「若菜集」の大部分を書き上げたそうです。

 島崎藤村は仙台で暮らした時のことを「市井にありて」の「若菜集」時代 で次のように書いています。

  「・・・仙台へ出かける前の四年ばかりといふものは、かなり私も暗い日を送ったあとで、よくよく行き詰まった揚句、自分の古本でも売って旅に出かけようかと思ひました。 それがヌる人の世話で、仙台の東北学院の教師として出かけることになって、旅も出来れば母への仕送りもいくらか出来るといふ始末であったのです。 あの時は寂しい思ひで東北の空へ向かひました。着物なぞも母の丹精で見苦しくない程度に洗ひ張したもので間に合せ、教師としての袴は古着屋から買って来たもので間に合わせました。 荷物といっても柳行李一つで、それも自分があつめた本を大事にいれて行くぐらいなものでした。 上野から汽車で出かけて、雨の深い白河あたりを車窓から見て行ったときの自分の気持ちは、未だに胸に浮かんで来ます。 そんな寂しい旅でしたけれども、あの仙台へついてからといふものは、自分の一生の夜明けがそこではじまって来たような心持を味わいました。 実際、仙台での一年は、楽しい時であったと思ひます。・・・」

 このように島崎藤村は生活が苦しくやむをえず仙台に赴いたようです。 仙台行きは都落ちのような気分で、相当滅入っていたようですが、実際に暮らしてみたら仙台での生活はそれなりに楽しく、さらには新しい自分を発見した旅となった様です。


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島崎藤村 草枕詩碑移設記念式典(平成19年9月2日)は盛会の内に終了しました。


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